日々徒然でもない日常
最近TSUTAYAの旧作が100円になったから、毎週数本ずつ借りて充実。
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ココロ
大地
大地から贈られる命の源を
つま先から吸収して
体の中を流れ呼吸と一緒に空へと昇る
光暗
小さい頃好きだったことが
今はもう興味をもてない
空を流れる雲を見ること
夜を彩る灯りを眺めること
太陽の下を歩くこと
生き物の声を聞くこと
言葉
口から出た言葉はどんなことでもホントになると思う
嘘でも良いことなら明るくなるし
悪いことなら気分も沈む
何とも思っていなくても
悪口を言えばどんどん誰かを嫌いになっていく
耳から入ってきた嫌な言葉は不快に思う
けなしたり、おとしめたり
そういう人を見るたびに、言葉を聞くたびに
なんだかその人が嫌いになっていく
心
いろんなことが周りを通り過ぎて
ちょっとずつ心が無くなっていくのに
至る所に傷ができていくのに
そういうときには決まって
私の中には何も流れない
吸収されなかった命は
いったいどこへ行くんだろう
そのまま消えて無くなってしまうのかな
狼煙 2006年6月 №57 より
*****
4つの異なる詩をひとつにまとめて書いたんだけど、今見るとまったくつながってないね^^;
あえて解説するとしたら、最初の「大地」と最後の「心」が対になっていて“結果”を、間の「光暗」と「言葉」は“原因”ってかんじかな。。。
人の心が動くとき、たとえば何かを見て綺麗だとかって感動したりすることって大人になるにつれて少なくなっていくと思うんだ。
叶の詩にはそういう表現っていうか、そこをベースにしたものとかが多いんだけど、それって寂しいことだとおもうの。
叶が小学生のときは毎朝夕の登校や下校時の道に咲いた花をみて季節を感じたり、風の匂いを感じたり、中学になってからは、夜の散歩が好きになって、星や窓から見える高速道路の光を毎晩見てた。
でも、今はそんなことしない。
朝通勤のときに歩いていても、当時ほど周りを見てないし、夜に光を見ることもなくなった。
それが嫌いになったわけじゃないんだけど、心に余裕とかゆとりとかがなくなってるんだと思う。
そして、「言葉」のことは昔から思ってることなんだけど、叶は人の悪口とかって嫌いな人なのね。でも、集団で集まるとどうしてもあるじゃない?
Aさんの前ではBさんの悪口を言って、Bさんの前ではAさんの悪口を言ったり、、、、本当はそんなこと思ってなくても、周りが言い始めればなんとなく自分も言っとこうかな。。。。みたいな。
それってある意味卑怯な行為なんだけど、集団の中に入っちゃうとそれが分からなくなっちゃうんだよね。
それが嫌で、小学生の時にはトモダチと一緒に行動するのやめたんだけどね^^;
だから、当時はほとんど一人だったなぁ。。。。(どうでもいい^^;)
そういうのって心がなくなっているからだと思うんだよね。
なんでかなぁ。。。感動できなくるなことも、周りをみることがなくなることも、誰かの悪口をいっても何とも思わないことも、、、便乗して自分でも言葉で傷つけてしまうことも、、、、全部心がなくなってるからだと思うの。
まぁ、なんとなくそんなようなことを言いたかったわけです^^;
あんまりうまく言っていない上に、ちゃんと考えて組み立ててないことが丸分かり・・・な作品だね^^;
いまなら、もう少しまともに作るかも・・・っていうか、文章に関連性をもたせるんだろうなぁ^^;
大地
大地から贈られる命の源を
つま先から吸収して
体の中を流れ呼吸と一緒に空へと昇る
光暗
小さい頃好きだったことが
今はもう興味をもてない
空を流れる雲を見ること
夜を彩る灯りを眺めること
太陽の下を歩くこと
生き物の声を聞くこと
言葉
口から出た言葉はどんなことでもホントになると思う
嘘でも良いことなら明るくなるし
悪いことなら気分も沈む
何とも思っていなくても
悪口を言えばどんどん誰かを嫌いになっていく
耳から入ってきた嫌な言葉は不快に思う
けなしたり、おとしめたり
そういう人を見るたびに、言葉を聞くたびに
なんだかその人が嫌いになっていく
心
いろんなことが周りを通り過ぎて
ちょっとずつ心が無くなっていくのに
至る所に傷ができていくのに
そういうときには決まって
私の中には何も流れない
吸収されなかった命は
いったいどこへ行くんだろう
そのまま消えて無くなってしまうのかな
狼煙 2006年6月 №57 より
*****
4つの異なる詩をひとつにまとめて書いたんだけど、今見るとまったくつながってないね^^;
あえて解説するとしたら、最初の「大地」と最後の「心」が対になっていて“結果”を、間の「光暗」と「言葉」は“原因”ってかんじかな。。。
人の心が動くとき、たとえば何かを見て綺麗だとかって感動したりすることって大人になるにつれて少なくなっていくと思うんだ。
叶の詩にはそういう表現っていうか、そこをベースにしたものとかが多いんだけど、それって寂しいことだとおもうの。
叶が小学生のときは毎朝夕の登校や下校時の道に咲いた花をみて季節を感じたり、風の匂いを感じたり、中学になってからは、夜の散歩が好きになって、星や窓から見える高速道路の光を毎晩見てた。
でも、今はそんなことしない。
朝通勤のときに歩いていても、当時ほど周りを見てないし、夜に光を見ることもなくなった。
それが嫌いになったわけじゃないんだけど、心に余裕とかゆとりとかがなくなってるんだと思う。
そして、「言葉」のことは昔から思ってることなんだけど、叶は人の悪口とかって嫌いな人なのね。でも、集団で集まるとどうしてもあるじゃない?
Aさんの前ではBさんの悪口を言って、Bさんの前ではAさんの悪口を言ったり、、、、本当はそんなこと思ってなくても、周りが言い始めればなんとなく自分も言っとこうかな。。。。みたいな。
それってある意味卑怯な行為なんだけど、集団の中に入っちゃうとそれが分からなくなっちゃうんだよね。
それが嫌で、小学生の時にはトモダチと一緒に行動するのやめたんだけどね^^;
だから、当時はほとんど一人だったなぁ。。。。(どうでもいい^^;)
そういうのって心がなくなっているからだと思うんだよね。
なんでかなぁ。。。感動できなくるなことも、周りをみることがなくなることも、誰かの悪口をいっても何とも思わないことも、、、便乗して自分でも言葉で傷つけてしまうことも、、、、全部心がなくなってるからだと思うの。
まぁ、なんとなくそんなようなことを言いたかったわけです^^;
あんまりうまく言っていない上に、ちゃんと考えて組み立ててないことが丸分かり・・・な作品だね^^;
いまなら、もう少しまともに作るかも・・・っていうか、文章に関連性をもたせるんだろうなぁ^^;
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